みんなそれぞれ違って、一緒

メニューの「自己紹介」を読んでくれた方はご存知だと思いますが、私は精神障害を抱えています。
この障害が生きづらいこと極まりない!

だって、親の家から出て自立しようと賃貸マンションを探していても、「障害者はちょっとねぇ(…貸しにくいです)。」みたいに言われるし。
じゃあ、どうすりゃいいの?って話。

障害者は人生を楽しんじゃいけないのですか?
障害者は出来ることも「出来ません。世間に迷惑かけます。ごめんなさい。」って言いながら小さくなって生きないといけないのですか?

『その通りじゃー!障害者は小さくなってろ!』と思われた方は、過去記事余計な経験が偏見をもたらすで話し合いしませんか?
キャッチボールです。私が投げたボールが今どこにあるのか分からないので、誰か見つけたら私のグローブに投げてくれたら嬉しいです。

障害者といっても、みんなそれぞれ違うと思うのです。
同じ病名で、同じ薬を飲んでいて、同じようなことをしていても、やっぱり違うんですよね。
『障害者は障害者で同じ』という意見が存在すれば、『健常者は健常者で同じ』ということにもなりますよね。
健常者がみんな同じ服着て、同じ家族構成で、同じ仕事して、同じ収入で、同じものを食べて、考えていることはみんな同じで、、、って挙げたらキリがないのでもうやめますが、障害者もそれぞれなんです。

その、“それぞれ違う”ってところが、“みんな一緒”なんです。
みんな違うのが、一緒。障害の有無に関わらず。

(伝わるのだろうか…私の表現力、問われる…)

あと、障害者の“害”の字を”がい”にしたり”碍”にしたり。
これって、個人的に意味がない気がするんです。
寧ろ、悪いイメージ。

気づいたら世の中がそういう風になっていたので経緯はよくわかりませんが、障害者が「害」だと思われるからなんですか?(素直に質問です。)

字を変えたことで、世の中変わりましたか。
私は全然生きやすくなってません。

字を変えたことで、国民の意識が変わるのでしょうか。
全然、ダイレクトに変わったと感じません。

そんな細かいところで変えていこうとするくらいなら、北海道浦河町の「べてる」みたいな国にした方が、よほど生きやすそうです。
(実際に浦河町に行ったことがないので、あくまでも想像ですが。)

障害(精神障害に関わらず)があっても、出来ることはたくさんあります。
例を挙げるとすれば、自分で歯を磨くことが出来ない人でも、ユニークな性格だったり。そんな人から周りがエネルギーをもらったり。

「障害が可哀想」とかいう同情はいりません。
一緒に感情を共有してくれたら嬉しいです。

「しんどいなあ」とか「でも、出来たことがあるから嬉しいなあ」とか。
障害の有無に関係なく、みんな気持ちを共有できたら嬉しいでしょ?

障害者は時には、周りの援助を必要とすることもありますが、「ない」に目を向けないで「ある」に目を向けたら無限大です。
無限大なのは、健常者と同じで。
みんなで暮らす国、みんなで暮らす地球。
みんなが幸せであれば、いいなと思うのでした。

長々と失礼しました。

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